赤い日記帳

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...... 2018年04月24日 の日記 ......
■ 衣笠祥雄さん死去   [ NO. 2018042406-1 ]

 

衣笠祥雄さん死去

 

衣笠祥雄さん 死去4日前かすれ声解説 鉄人貫く

 

プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた。75年に広島のセ・リーグ初優勝に貢献し、「赤ヘル旋風」を巻き起こすなど黄金期を支えた。引退後は解説者として亡くなる4日前までテレビ解説を務めた。通夜は24日に東京都内で近親者により行われた。

突然の悲報だった。衣笠氏は19日、横浜スタジアムで行われたDeNA−巨人で、今季初めてTBSのテレビ中継の解説を務めた。体調を気遣い「代わりましょうか?」と打診されたものの、仕事への強い意欲を示したという。周囲の配慮で、急きょ元巨人の槙原寛己氏とのダブル解説となった。それが最後の公の場となった。

当日の実況を務めたTBS戸崎貴広アナウンサー(55)は「打ち合わせの段階から声が出にくそうで心配の中、始まりましたが、開始と同時に声がワントーン高くなって、仕事に対する衣笠さんの意志の強さをかいま見ました」と明かした。声はかすれていたが、鉄人という言葉にこだわりを持った故人らしく最後まで美学を貫いた。

関係者によると、2〜3年前から闘病生活を送っていたという。それでも周囲に体調を崩す姿はほとんど見せなかった。今年1月の新年会にも出席。隣の席になった戸崎アナには「今シーズンが楽しみだ」と、明るく元気に話していた。昨年に比べると、今年は顔色も良かったという。

現役時代は「赤ヘル軍団」広島の象徴として時代を彩った。プロ3年目の67年、後に広島や西武などで監督を務める根本陸夫氏の1軍コーチ就任が転機となった。2軍暮らしが続き、私生活も乱れていた時期に合宿所で毎晩のように説教され、長打やフルスイングという原点を見いだした。翌年から主力へと成長。長年低迷していた広島を山本浩二氏とともに引っ張り、75年に初めてリーグ制覇した。79、80年に連続日本一。黄金期を支えた。

 

 

鉄人・衣笠祥雄氏は、なぜカープの監督になれなかったのか (1/4)


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